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日本の原爆犠牲者の折り鶴、ユネスコ世界遺産登録を目指す

Jul 29, 2023Jul 29, 2023

米国が広島に投下した原爆によって引き起こされた放射線誘発性白血病で亡くなった12歳の日本人少女、佐々木禎子は、病院のベッドで、こうなると信じて千羽以上の折り鶴を折ったことで記憶されている。彼女の回復を助けます。

佐々木禎子さんが生前に作った折り鶴。 (共同)

佐々木禎子さんが生前に作った折り鶴。 (共同)

現在、彼女の兄の正博さん(82)と他の親族は、第二次世界大戦終結80周年を記念して、2025年に彼女の折り鶴を、手書きのメモなどの他の品物とともにユネスコの記録遺産プログラムに登録する準備を進めている。 。

ハワイの真珠湾ビジターセンターに展示されている貞子の鶴(共同)

ハワイの真珠湾ビジターセンターに展示されている貞子の鶴(共同)

正博さんと貞子さんの甥で次男雄二さん(53)は、折り鶴を国連教育科学文化機関の世界記憶遺産に登録するよう申請する。

祐司さんは「世界記憶遺産に登録されることで、貞子の物語がより多くの人々に伝わり、世界が平和に向けて団結するきっかけとなることを願っている」と語った。

Sadako Sasaki (Photo courtesy of Sasaki's family)(Kyodo)

Sadako Sasaki. (Photo courtesy of Sasaki's family)(Kyodo)

Masahiro Sasaki, Sadako's older brother (Kyodo)

Masahiro Sasaki, Sadako's older brother (Kyodo)

Yuji Sasaki, Sadako's nephew (Kyodo)

Yuji Sasaki, Sadako's nephew (Kyodo)

1945年8月6日に原爆の放射線にさらされたとき、貞子さんは2歳で、爆心地から約1.6キロ離れた自宅に正博さんや他の家族とともにいた。

貞子、正博、そして母親のフジコは逃げる途中、貞子の祖母とはぐれてしまい、二度と会うことはなかった。 禎子さんの父、茂雄さんは大日本帝国陸軍の衛生兵で、爆発当時市内にいなかったが、帰還後に被曝した。

広島平和記念資料館に展示されている貞子の鶴(共同)

広島平和記念資料館に展示されている禎子の鶴。 (共同)

ハワイの真珠湾ビジターセンターに展示されている貞子の鶴(共同)

広島平和記念資料館に展示されている貞子の鶴(共同)

広島平和記念資料館に展示されている禎子の鶴。 (共同)

ハワイの真珠湾ビジターセンターに展示されている貞子の鶴(共同)

その後数年、貞子は一見健康な女の子として成長し、スピードで知られるクラスの陸上チームにも入部した。

Sadako Sasaki (Photo courtesy of Sasaki's family)(Kyodo)

Sadako Sasaki. (Photo courtesy of Sasaki's family)(Kyodo)

しかし、原爆投下から10年後、重篤な症状が現れ始め、小学6年生の時に白血病と診断された。

正博さんによると、1955年2月に入院した禎子さんは、家族に治療費の負担を掛けないよう激しい痛みに耐えたという。 正博がうどん好きだと知っていた彼女は、正博を病院の食堂に誘い、一緒にうどんを食べていた。

貞子は、千羽以上の折り鶴を作ると願いが叶うという有名な日本の民話を知り、入院中に折り鶴を作り始めた。 彼女は入院から8か月後の1955年10月に亡くなった。

家族に囲まれた正裕さんは、禎子さんの最後の言葉は「みんな、ありがとう」だったという。

広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」。 (共同)

広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」。 (共同)

正博が書いた『貞子の千羽鶴』の表紙。 その本は彼の妹の人生について語ります。 (写真提供:佐々木正博)